いざ、台湾へ! と振り返り

こんにちは、2024年2月27日現在、元気に居ります上田です。

日本に帰ってきて早5ヶ月が過ぎ去ろうとしている、という事実に大変驚いています。

そんな僕は現在またセントレア(中部国際空港)に来ています。(でも書ききれなかったので最後の方は台北のスタバから)

恒例行事のように、空港で待ち時間が長くなったときは筆を取る。いつまで続けられるかわかりませんが、なんとか今回もそんな時間を持つができました。

さて、当ブログでは報告できておりませんでしたが、2023年10月5日に、無事日本へ帰国しました。

最後に居た場所はアルバニアの首都ティラナ。そこからドバイ、マニラを経由して名古屋まで約5万5千円という格安ルートで、写真もバシバシ撮りながら帰ってくることができました。

そんなルートが見つかったのも旅の相棒のお陰で、大変助かりました。一方で、日本に帰ってきてから家族、お世話になった方々、友人たちに洗いざらい起きたこと、やってきたことを報告し、相棒の分まで費用を負担していた件などに関してはお叱りも頂いて、なんというか、、少し冷静になった気がします。

帰ってきたきっかけは決算。僕の会社SaaSeo LLCは9月締めにしているので、10月から11月の間にオンラインでも書類の提出をしなくてはなりません。

ただ、それはあくまでもきっかけに過ぎず、とにかく僕は帰国したくなっていたのでした。

ある種、これほど外国から日本に帰りたいと思ったことは、新卒でタイの会社に就職して半年ほど全く結果の出し方がわからず絶望していたとき以来かと思います。

当時は上司に喝を入れて頂きつつ、更にアシストパスも貰えたので、乗り越えて先に進むことができました。当時帰国しなくて、本当に良かったと思っています。

一方、今回の場合は急速に減っていくお金、それをV字回復できる感触のない開発状況というかプロダクトそのもの、そして帰国話を切り出すたびに鬱っぽくなる相棒との生活が理由でした。

今、少し冷静になった僕は「スタートアップは甘くない」と思います。足や頭を沢山使っていた事自体は良かったと思いますが、1円でも稼ぐ仕組み作りとその実践、0から1の達成、そしてそれを構造化して拡大していくという流れが、2人だけの生活と空間の中で冷静さを失い、顧客の実態が全く見えない中、ただひたすらにヨーロッパを転々とする、という状況になってしまっていました。

他人から見れば「ただ旅をしているだけ」。まさにそんな感じでした。

すごく良い経験になったので自身の糧にはとてもなったし、今動き始めている2つのビジネスは、毎日パソコンを10時間近く触り続けた修行の日々が無ければたどり着けなかったので、後悔はほとんどありません。

ただ一つ挙げるならば、相棒との関係がほぼ断ち切れてしまった事です。しかし、これは旅の中で何度も切り出し、話し合い、その度にうまく道を分かつことが難しい、と判断を繰り返した結果だったので「しょうがない」という結論です。

さて、そんな20代の延長戦のような2年間を30-32歳で過ごした僕は、若干の傷心と、確かにみなぎる修行の成果を実感して実家に戻りました。

そしてまず考え始めたのは「これから自分の30代をどう始めるのか」。企業を持って、Self Employedとして、どうお金を稼いでいくか、という課題に対して真剣に向き合うことにしました。

ということで、相談と関係性のメンテナンスをするために「会えていなかった人たちを訪ねる」を課題にして10月11月は過ごし、地元岡崎、名古屋、大阪、東京と巡り、最後に郡上八幡を訪れました。

郡上八幡はヨーロッパに行く直前に初めて訪れて、実は好きだった町。

当時は「うどん屋さんを開業するんだ!!」と息巻いていた友人を応援しに来て若干心配になっていたのですが、今回再訪したら、、、玉手箱でも開けたんじゃないか?と目を疑う状況でした。

この町の他のどこにも行列なんて無いのに、友人の店だけは溢れる人々が。。。なるほど、これは確かに忙しい。

実は今回郡上八幡に来たのもうどんの友人から強いお誘いを頂いたからなのですが、その際に「岐阜駅でアメリカ人の友人を拾ってきて欲しい。そして先2週間相手になって欲しい」という色々とツッコミどころの多い依頼も受けていたのでした。

しかしながらその行列を見て色々と察し、2週間に渡ってアメリカ人の相手はしっかりして(*ゲイだったけど深い意味は無い)、その上お店の手伝いも何度かしました。

正直なところ、飲食業は「家業として」以外ではやる気もなかったし、ほとんどやってこなかったのですが、あれだけ多忙で友人の祖母までもが大変そうにしているのを見ていると「もはや体が先に動く」という状況でした。

ときにはプライドが邪魔しましたが、まさにそのプライドこそが今僕が一旦落とすべき苔なんじゃないか? いったいなぜそんな否定的な気持ちがあるのだろう? と考えながら日々体を動かし(最初は頭も結構大変)、床磨きにもトライして、パソコンと距離を取った日々を過ごしました。

やがて気づいたのですが、僕は形に拘りすぎていたのだと思います。友人は「郡上を盛り上げる」ために動いており、そのために「心も満たすうどん屋」を運営していて、そのためには格好の良いことばかりではなく、床磨きもやらなくては成り立たないのだと思いました。

もちろん、そういった仕事をアルバイトの子達に振ることはよくありますが、毎日必ずスキップできるわけではないし、そんなことを考えている暇があればやってしまったほうがいい、というスピード感だと思います。

僕はそんな具体的なものを築き上げようと妄想しきれてないから、只々、形に拘る。ハイテクな技術に触れたり、沢山の国に行ったり、住んだりという趣味生活を続けてしまったのだと思いました。

そんなこんなで大事な気づきもあったし、郡上八幡がもっと好きになったので、当初約束していた2週間の滞在を終えて一度実家に戻ったら、2日で郡上にリターンする、という自分でも予想していなかった展開となり、引き続き郡上八幡での生活を続けることになりました。

ありがたいことに、うどん屋に来てくれた外国人のお客さんたちから「あなたは何者?」なんて聞かれることもあり、「色々やってきたのですが今はプログラマーでこんな作品を作っています」という流れで旅の間に作ってきたもの、そして帰国してからも形にしようと隙間時間に頑張ってきたものを見せる機会が増え、第三者の反応やフィードバックを得ることもでき始めました。

そのおかげで「撮りためた360度写真はVR用アプリに使うが、企画をもっと具体的にするのが先決」、「ギリシャから開発を始めた世界中のニュースを毎日読める技術はスピンオフする。ニュースアプリを作って自分用・投資家用にアレンジしていく」、そして「培ってきたWeb技術を活かして日銭を稼ぐ」という具合で、方向性が2024年1月には決まってきました。

そんなことをうどん屋の友人にも伝えたら「じゃあうちでゲストハウスをやってくれないか?」という、謎の返答が。

真意を聞けば、単純に僕に郡上八幡に住み続けて欲しいとのこと。なるほど、さすが郡上を盛り上げたい男。。

確かにこの家は14LDKもあるし、170年の歴史と「うなぎの寝床」と言われるユニークな長屋建築ですごく面白い。とはいえ、自分がいきなり宿泊業へ?ということで正直悩みました。

悩んだものの、集客はもちろんのこと、この2年間Airbnbで50件以上渡り歩いてきたという経験がとても活きるし、アメリカの友人が居たあの日々、もっと昔を遡れば南山大学の寮で外国人をホスティングしていたあんなワンダフルな日々がまた訪れるんじゃないか?

何より、これは「日銭を稼ぐ」というミッションが達成できながら、ニュースアプリの開発も並行できそう! ということで、今この宿泊施設の準備を着々と進めているところです。

じゃあなぜ今、台湾に居るの? という話なのですが、タイミングが合ったから、という単純な理由です。

実際に宿を始めたら最初の方は自己都合で機会損失したくない( = 郡上を長期にわたって離れられない)し、僕の幼馴染が台湾で駐在して長くなったし、世界情勢も不透明だし、うどんの友人はアメリカ一周の旅に出かけたし、という感じです。

思えば5ヶ月ぶりの海外なのですが、やっぱり今までの自分とは違うというか、なんか久しぶりに海外旅行してるなあと思います。

なんなら、20歳で初めてタイに行ったときだけが今と同じ「日本に住んでるけどちょっと海外の空気を吸ってくる」という形だったのではないかと。

清々しい程に、海外生活への憧れが消え去り、旅行楽しいなあと感じています。

これからは日本で、まずは郡上八幡を拠点にできるように挑戦していきます。

郡上編どうなることやら、、、とりあえず、無事に台湾を楽しんで帰国できるようにします。

ではまた!

1.5年のヨーロッパ周遊と、今、そしてこれから

お久しぶりです!

書こう、書こうと思っても、なかなか心が決まらないもので、結局1年間近く経ってしまいましたが、その間にいくつかの山を超えて、書く決心ができました。

自分の日記を10年間近く続けていると、日記に対する姿勢すら変わってくると言うか、そんなことはどうでもいいと思うのですが、とりあえず一体何があったのか、将来ボケてしまった場合に思い出せるようにちゃんと書き残しておきたいと思います。

とりあえず、前回の投稿を読んでみたら、昨年リリースしたものに向けて頑張るぞ!みたいなテンションでジョージアに居たようでした。(↓黒海の写真)

それで実際にリリースしたのはdigitalnomad.mediaというもので、なんというか、、、色々とありました笑

まず、今もですがソフトウェア開発者として発展途上にある中、デジタルノマド・メディアについては3Dの面白さにハマりすぎて非常に謎な出来となりました。

一応、World Fact BookというCIAが発行しているデータ(著作権フリー)と3D表現技術を繋げてデータを可視化する、というものなのですが、時間を置いてみると本当に訳がわからないという出来です。笑

それでも、昨年は必死になって開発し、リリースも行い、今でも世界中から毎日10名ほどの訪問者を頂いているのですが、結果から言えば2023年になった瞬間にこのプロダクトは諦めました。

旅路としてはジョージアで一ヶ月間開発に集中、その後ポルトガルのポルトまで飛んでいって更に一ヶ月滞在。

ポルト滞在中はカタールW杯があったので、その3日目にリリースを行い、ツイッターで盛り上がっている国、検索ワードに乗っかって沢山のViewerを集めつつ行動データを見て・・・

「目標1000人のデータを集めて考える!」ということは結局達成できたのですが、いざ考始めると、行動データも芳しくない、世界中で撮ってきた360度写真がうまく使えていない等など、もどかしさもあり、ポルトを出た後に、一回全て捨ててやり直そうという流れができ始めました。

そこで次はキプロス島へ。何かを求めた結果、とにかく気になるという理由でキプロスでの年越しもしていたのですが、この旅で最も辛かった時期の一つでした。

毎日、共同創業者である友人と話し合い、自分たちの持っているもの、できること、世間が求めていること、ウケること・・・色々と話し合いました。

↑北キプロスと南キプロスの国境(国境という表現すら危ういものですが・・・)

結局その話し合いは一ヶ月経っても綺麗には終わらず、安い生活費を求めてセルビアの首都ベオグラードへ。

そこでも更に一ヶ月間話し合い、現在のプロダクトに繋がる結論が出ました!

…だったら良かったのですが、ここでも結局結論は綺麗につきませんでした。

そんなとき、コロナ前に購入したライブが一ヶ月後にオランダのユトレヒトであるということも話の焦点に。

正直、事業が無いという最悪な状態の中、お金も更にかかる西側へ行くという行為自体無謀に思えました。

しかし、「結局行く」ということになり、せっかく行くのであればそこまでの道のりで、360度写真を最高に撮りまくりながら考えようということに。

ということでベオグラードを出発してまずは隣。クロアチアの首都ザグレブへ。

結果的にこの無茶な決心が功を奏して、話は好転したなあと今振り返るとすごく思います。

このザグレブでは、撮影中に骨董品を扱うジェントルマンのZenさんから話しかけられ、骨董品のデジタル市場をやるのもいいね、なんて話にも。

360度写真が無駄になるからやらないとしても、そういった柔軟なアイデアが出会いと共に湧き出てくるいいサイクルに入った感じがありました。

次に国的にも都市的にも陰キャラなスロヴェニアの首都リュブリャナ。

物価が高くて絶対に住めないけど、きっといい写真が取れると言う理由で0泊一日のスイス・チューリッヒ(首都ではないらしいです)。

そして西ドイツの雄、デュッセルドルフ(で日本食)。

そして、オランダで最もリーズナブルかつ住みたいと思った家があるナイメーヘンへ。

さて、完全に旅行記になってしまいましたが、実際現実逃避も兼ねてとにかく写真撮影に集中しました。

そのせいでここまで来ても具体的には決まっておらず、大きな焦りを抱えたまま、ASOT1000というイベントへの参加をすることに。

この時は本当に複雑で「何も決まっていない、とにかくお金を減らすだけ、なのになんで俺はこんなところで楽しくやっているのだろうか・・・」という気持ちがなかなか振り切れず、と言う感じでした。

しかしながらそこでまた色んな人と出会ったり、観察したりする中で悩みを忘れる時間も増えて、結果的に行ってよかった、自分の世界観が広がるように感じた素晴らしいイベントでもありました。

さて、この時点で時系列としては2023年の2月。

絶対に9月には成功への架け橋(オンラインでの決済が複数ユーザーから来る)という状況を実現したかったので、一日も無駄にできないという気持ちは強かった、、、けれど、具体的には決まっていない。

だったら!ということでそこから撮影していない主要ヨーロッパ諸国をすべて撮ろう、という結論に。

そこで我々はドイツを経由してフェリーでデンマークの首都コペンハーゲンへ・・・

と、色々とドラマはあったのですが、今2023年7月9日現在時点で、その旅路はNational360sという作品に昇華されてきました。

ローンチして数字が取れてきたら、今すっ飛ばしてしまった旅路の中身とともにまた書こうと思いますが、とりあえず本日もまた開発を進めないといけないので一旦はこの辺にしたいと思います。

ではまた!

旅路の振り返り(1月−5月)

こんにちは、今回はジョージアの電車(トビリシ−バトゥミ間)に揺られながら筆を取ることとなりました。

それぐらい、この9ヶ月間は濃く、移動中でも体は休めながら頭では事業のこと or プログラムのことを考える、という具合で、ブログという形で自分の旅路を振り返る余裕がありませんでした。

ただ、今回ジョージアという国にこのタイミングでやってきたことで事態が少し変わり、一週間ほど開発に集中する時間が取れていないため、ゾーンアウトしたというか、だったら振り返りを書き記そう、なんて気になったという感じです。

自分でも定かではなかったのですが、どうやら前回は旅を始めてすぐのアルバニアぐらいに書いたようです。その時は自分が行ったことのある国の数は今の半分ぐらいで、ヨーロッパに関しては無知、という状況でした。

旅をする、ということ自体もCOVID-19の影響からとても久しぶりで、相棒と成田空港で再開したとき、持ち物や格好について色々と注意をされたのを覚えています。

そんな成田空港で、呑気に360度写真を取りながら「これはすごい、いつかこれに救われる」という意味のわからないことを言う相棒を片目に、絶対これから大変なことばかり起こる、と確信をした自分が居ました。

さて、そんな成田空港での時間はあっという間に過ぎ去り、向かったのはカタール。乗り継ぎのためではありますが、ワールドカップ2022が開催される場所でもあり、フットボール好きの自分としてはテンションの上がる場所でした。

とはいえ空港から出る時間は流石になかったため、とりあえず人生初のラウンジへ。お酒もご飯も充電もふわふわの椅子も手に入る素敵な場所で超感動しました。

そんなラウンジから、次はとうとう目的地のバルセロナへ。

バルセロナは、まさに万人におすすめできる、世界を代表する素敵な街でした。何が素敵かって話であれば、まずはサグラダ・ファミリア。

今では観光スポットは積極的に訪問していますが、以前の僕はそれほど観光スポットを目指すタイプではありませんでした。

でも、このサグラダ・ファミリアが変えてくれた、と言っても過言ではないほど、街・国を代表するほどの象徴的な文化遺産には、一見の価値があるんだと思い知りました。

荘厳な佇まい、建設中という異常性、でもそれが伝えてくる”今は今だけ”という、逆説的に将来への期待をくすぐられる建造物でした。

他にも、バルセロナは街の美しさ、カタルーニャ料理店の良心さ、シーズンを外せばそれほど高くないホテル代など、魅力的な点だらけです。もしどこにでも永く住む権利があれば、バルセロナは候補の一つとなりました。

(エスパーニャ駅近くにあった、エスパニョールFCを熱烈に愛するバル。これとビールで会計20ユーロ!)

と、そんな平和な旅行だけであれば事は簡単なのですが、僕は心中それほど穏やかではありませんでした。

なぜなら、この旅を自分たちの事業に活かせないのであれば、結局は相棒の子供じみたワガママを優しく聞いてあげただけとなり、中途半端な選択肢をとってお金も時間も国内営業努力もすべて水泡に帰すという、どうしようもない結末を想像していたからです。

結論から言えば、そうなることもなく、相棒は自分よりもその予想に対してプレッシャーを感じて辛そうだったので何も強く言えませんが、とにかくこのバルセロナ、その美しさと反して、一気に背水の陣へやってきたという気持ちでした。

さて、そんなバルセロナでは一週間を過ごし、サグラダ・ファミリアのおかげで自分も360度写真を撮る楽しみを覚えつつ、次の土地バレンシアへ向かうこととなりました。

バレンシアといえば天気が最高。

最近、地球儀を開発していてわかったのですが、このバレンシア以南の少しの地域だけ、ヨーロッパの寒帯ではなく、温帯に属しているようです。

2月でも昼はお日様のおかげで暖かく、地元系ハイパーマーケットのConsum(コンスム)では質の良い野菜やお肉が手に入り、レストランへ行けば食べたことのないような美味しいスペイン料理が食べられる。

フットボール面でも素晴らしく、強豪バレンシアのホームスタジアム”メスタージャ”が目と鼻の先で、実際に試合を見に行ったら、試合の内容というよりは雰囲気に圧倒されました。これもまた、人生初の体験でした。

大変気に入り、できればここにずっと居たかったのですが、なんせ目的の定まっていない旅だったので次の土地を目指すことにしました。

次はマイナーな港町、デニアへ。理由としては、安くて良さそうなAirbnbの物件があったため。笑

ここらへんから、一気にデジタルノマドっぽくなったというか、自分も相棒もようやくこの旅を通して事を成す、ということに真剣になり始めることができました。

ただ、今振り返ると「ノマドというものにも2種類があるのでは?」と思っています。

それは受注系ノマドと、創出系ノマドです。

受注系は例えば日本で頂いたお仕事を海外に居ながらもこなし、アービトラージ(≒物価差)等をメリットとして生きるスタイルです。デメリットは、日本国内に居たほうがなんだかんだ頂いているお仕事がやりやすい、といったところでしょうか。

一方創出系は、例えばヤギを育てるために草原を移動し、安く買い付けた小さなヤギを遠くの街で立派なヤギとして売却する、といったようなノマドしてる事自体を強みに変えていくスタイルです。デメリットとしては、場所を移動し続けないとそれが成り立たなくなる可能性がある、といったところでしょうか。(現代では組織形成が比較的安易なので、必ずしも自分がノマドし続ける必要性は無さそうですが)

さて、話はだいぶ逸れましたが、このときから受注系には行きたくない、創出系になりたいという思いが強まってきたため、プログラマーノマドなのに創出系になるにはどうすれば?なんて考え始めながら日本で頂いたお仕事は1契約までスリム化することとなりました。

そして、何も無いデニアを散策しながらブレインストーミング。

そこで出てきた一案としては、家に特化した360度撮影事業。そうすれば目的地に行く理由もできるし、暮らせるから一石二鳥じゃないか!という案でした。

そうと決まれば!ということでこのときから泊まる家ではまず撮影、という我々の文化がこの家から8ヶ月間飽きることなく続いております。笑

結局、この案で勝負するということは無さそうですが、こうして積み上げていく、貯めていくということは、結局大事なんだなと今では思っている次第です。

さて、そんなデニア田舎暮らしを終え、向かったのはアリカンテ。スペインを代表する都市の一つだそうです。

実際、サンタバーバラ城は圧巻の大きさと景色で、この街にやってきて良かったと思える価値がありました。

また、この建造物のおかげで改めて360度写真の楽しさに出会い、やはり室内だけじゃなくて撮ってきた写真たちをもっと活かしたい、たとえそれがただの旅行ブログになってしまったとしても、と思い始めました。

自分たちのような生活をしている人は多くはなくとも沢山いる。でも、360度・3Dを操る能力とそのコンテンツを醸成しながら世界中を飛び回ってきた奴らはそうそう居ないだろう、という話です。

自分たちが見て・聞いた事を、少なくとも周りの友人たちは楽しんでくれているのだから、そこに自信を持って、見せ方をもっと考えていこう!なんて感じでアリカンテ編、そして壮大な序章だったスペイン編を幕引きました。

中核都市アリカンテから向かった次の土地、それはオランダのユトレヒトでした。

ユトレヒト自体には大きな興味はなかったのですが、比較的安価(それでも家賃は30万円/月!)で、真冬ということもあって家が見つかったからです。

反面、オランダにはすごく興味があり、ヨーロッパでの法人設立面だけでなく、僕は元ルームメイトの出身国で今も住んでいるという噂を聞いていたので、会いに来た、というのも名目でした。

ユトレヒト滞在から半分ほど経過したときに実際に友人宅を訪れ、ついでに遊園地に連れて行ってもらったのですが、このときほど自分が人生において何を大事にしてきたのか、ということを感じたことは無いかもしれません。

正直、高コストなヨーロッパでのノマド生活は不安です。

それは今でも全く変わりません。

相棒が日本生活恐怖症、アジアに近づきたくないという今でも理解不能なワガママを言うためアジアには帰れていませんが、正直大変です。なんせ、見た目は中国人と一緒ですし。

その中で現地出身の友人がそのパートナー(しかもジョージア人!)と一緒に迎えてくれて、割り勘文化で有名なオランダ人なのに全て奢ってくれて、自分の現状と展望、会ってなかった10年間について話させてくれて、結果的にいつでも応援をしてくれると言ってくれました。(下の写真は、ジョージア人の奥さんはベジタリアンなのに生々しい肉を注文してくれた友人との一時)

アジアじゃなくても味方がいる、これは本当にありがたいことです。

今でもスペインが大好きですが、現実的にオランダは最終目的地になり得る、と思っています。

と、完全にオランダ友人との2日間がハイライトされてしまいましたが、実はこのユトレヒト滞在が我々にとって初めての一ヶ月滞在となりました。

最初は不安でしたが、移動しなくて良いので非常に楽で、これがデジタルノマドってやつか!と思いました。

一方で問題点は、写真があまり貯まらないことです。このときにはすでに「写真が資産で、それが将来的な差別化要素になる」ということは認識していました。

我々の生活は移動(写真を撮る)か作業(ブログラミング、コンテンツ作成)か。そういった意識が芽生えてきたのがこのユトレヒト編。

また、このときから相棒が覚醒し始め、写真をソフトウェアで8kから12k位まで綺麗にするという方法を発見し、作業も開始してくれました。

明るい未来への道筋が、獣道程度でも見え始めたような気がして、一旦オランダ編を完了。

次に向かった土地はクロアチアのスプリット。理由は撮影と節約。バルカン半島をなぞるように動き、最終的に謎の国アルバニアで激安長期滞在を達成する、という計画でした。

ただ、最終的にこの計画は半分成功、半分失敗だったようにも思います。

最終的にアルバニアには辿り着けたのですが、移動費や、短期でのAirbnbは結構な経費となり、今思えば甘い動きでした。

とはいえ、スプリットのコンテンツ力は凄まじく、アンダマン海の青さ、街に張り巡らされた石畳、古代ローマ時代の遺跡など、どれをとっても最高の場所でした。

また、意外と学びがあったのがカエル博物館。

騙された!という人が居てもしょうがないような内容なのですが、楽しもうとすると非常に味がある。

クロアチア人とはどんな人達か?ということを、カエルの人形とジオラマを使って表現することで、自然とクロアチア人がわかってくる。

そして、それは大きな意味ではクロアチア人という独立に苦労を重ねた人たちだからこその、アイデンティティの確立・継続に繋がっているものなのだろうと。

こんな主観的なような、でも的を射た客観性がある「学びのあるコンテンツ」に憧れを持ち始め、自分たちの資産をそういった方向で使えないか?と考え始めるきっかけとなりました。

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と、ここまで書いてバトゥミに到着し、今新しく一ヶ月借りた部屋で、ワールドカップ直前のアプリリリースに向けた開発を始めるところです。

大げさですが「世界を知って、自由になろう」というテーマで、アプリのバージョン4を作り始めます。

旅中、色んな国の方に開発版を見て頂き、反応を頂くことでターゲットや開発の方向性、コンテンツの方向性が固まりつつありますが、果たしてどうなるか。

人生一度かもしれない、壮大な活動の序章にまだあるのかもしれませんが、今現在から見た序章部分について、まずは書き残しておけて幸せです。

また移動時に続きを書きたいと思います、では!

デジタルインテリアに集中する

現在、ヨーロッパ各国を訪れ、住みながら生活中。

まさにデジタルノマドというやつを実践しています。

これは自分に合った生き方だと感じつつ、事件も多いので、なんだかんだ多忙な、かつてのような日々に戻ってきました。

この日々を送る中でやりたいこと(写実系メタバースをWeb3に刻む)がはっきりと見つかり、そのために360写真や、モノの3D化を行いながら、4ヶ月間ほど旅をしてきました。(スペイン▶オランダ▶クロアチア▶モンテネグロ▶アルバニアNow)

ただ、当然お金は使うわけで、稼がなくちゃならないという側面も。そこでデジタルノマド。

そもそもノマドというやつは遊牧民、仕事をしながら移動をするという種族で、頭に”デジタル”がつくからには、PCやスマホから価値を生み出しながら半定住生活を繰り返す、そんな人たちがそう呼ばれるべきなのかなと思っています。

ただ、聞こえは良いけど中々難しい。でも幸運にもそれが出来ているというような状況です。

とはいえ、最終的な野望は写実系メタバース。

このとんでもないプロジェクトを達成するためにはもう1段階、実力も、収入も、コミュニティも上げていかなくてはならないという壁にぶつかり、最近悩みながら頭と手と足を動かしまくってきました。

そんな中でクライアントに対して生まれたのがこんな作品。

これを作ってから2週間が経過したのが本日なのですが、やっと自分の中で物事の順番がわかり始め、ようやく結論がつきました。

それが、まず「デジタルインテリア」にフォーカスするということ。

実力を上げて更に良い作品を生み出す。マーケティング力に乗せてヨーロッパでクッションを売る。その活動を行う中で更に多くの人と関わり、救い・救われながらコミュニティを広げる。そして日々素材となる写真と3Dは採集し続ける。

非常に綺麗にまとまってきました。

旅路は見えないほど長いのですが、やっと頭の中がクリアになり、3D開発に集中できる状態に入りました。

独立するということは大変なように思えますが、多動できる人にはおすすめのキャリアだなあと改めて感じつつ、ここに本日のこのような思いを書き残しておきたいと思います。

では!

とうとうヨーロッパへ行く

事になりました。

久しぶりに、空港で書く時間に入りました。

日本では約8ヶ月、長い時間を過ごさせて頂きました。なんだかんだでとても濃い、日本で居住という期間でした。

マレーシアを出たときには、きっとまた東南アジアに近々戻るのだろうと思っていたものの、日本で会社を設立し、ありがたく開発やマーケティングの案件を頂くことで少しは稼ぎも出てきたところで今この瞬間なので、自分でも止めたくなるような無茶な動きという気もします。

ただ、次なる一手をいつどこで打つのか、という話になったときに一番予想外でワクワクしたのは、この欧州での挑戦でした。

就労ビザを持っていくわけではないので最大180日ということを考えると、案外あっという間に終わってしまう旅になるかもしれないし、逆に面白いことになってそれ以上居る意味が出てくるかもしれない。

まだ、本当に何が起きるかわからないです。

欲を言えばサッカーに纏わるなにかを見つけられたら嬉しいし、現実的にはマーケティングコンサルタントをさせて頂いている関連のインテリア系・アート系の世界に足を踏み込んでいけたらなあとは思っています。

また、作品作りができる舞台も沢山ありそうなので、素材集めも意気揚々と頑張っていきたいです。

一方で今頂いてる仕事や繋がりを大事にして国外にてWork from Anywhereを実践してみて実際にどうか、それ自体もミッションの一つとなります。

最後に、ヨーロッパへ行くこと自体が10年越しの自分の夢であり、昔お世話になったルームメイトや友人に会えたら、それ以上価値のあることはないかもしれないなんて思ってもいます。

お金はある程度セーブしつつ、体験への投資を惜しまない、そんな旅にできるよう、健康に毎日を充実させていきます。

頑張ります!

今日で本所ライフ満了

初めて東京で一人暮らしと呼べる期間を過ごしてみた。それが今日晴れて満了となる、、、嬉しい!

こんな部屋でもちょっと寂しくなるぐらい、学びが多くてこれからに繋がる14日間だったから驚きだなあ。

せっかくなので、この14日間を写真と日記を見ながら振り返っておこう。

1日目、焼き芋会へ

雪のかかる富士を横目に新幹線で東京へ。新幹線好きだなあといつもの感想を漏らしながら。

驚いたことに焼き芋の写真は撮っていなかったw

なにはともあれ、4時間の道のりを完了し昼から留学時代の友人たちと再会。東京ライフを送っている人たちに大勢囲まれるという、意外と他のコミュニティでは味わったことのない、日本ドラマの中のような?世界観を知った。

まじで自分はこのレールから外れてしまっている、しまっていると表現したくなるほど、マイノリティとしての不安を感じた。

同時に、自分は自分の道でやってかなあかんなあ、と奮い立たせた。

2日目、行きつけ中華料理店発見

部屋紹介よりも先にこの写真で中華料理店を思い出してしまったw

祥龍房刀削麺荘というお店で読み方はわからないけど、ランチが良かったし、初日から僕のドジを優しく受け止めてくれたので行きやすかった。

というのも、まじで情報が皆無のため悩む初日のランチタイム。とりあえず北に向かったらこの店を発見した。

中華有りだな〜と思って入ったら気づいた、財布がない。

おばちゃんに「忘れ物したので取ってきます!」

と言って本所の街を爆走。

戻ってきたらちゃんと飯を食べさせてもらえたし、なんかバランスが良いから好きになった。

このお店もあるから、ということでランチタイムは本所底辺ライフにおける癒やしタイムとなった。

また、日記を読み返すとこの日は勉強に熱中していたようで驚いた。

3日目、お世話になった投資家の方にお会いする

投資家ってやっぱなんかカッコいい響きだな、と思いつつお会いしてきた。渋谷まで。

これからやることについて全くクリアではなく、正直落ちまくっていた自分は、せっかくお時間を頂いて久々にお茶するという平和イベントなはずなのにネガティブ全開だったw

そのため不安を感じさせてしまうという、マジで申し訳ございませんな事になった反面、この日もまた未来への思考をしなければという思いが強まった。

不安に負けないように柔軟にアンテナを張る、と日記には書いてあった。

4日目、池袋の先輩オフィスへ

いやあ、池袋のほうが落ち着くしオフィスのほうが寝やすそう、、、と本気で思ったw

先輩が中々仕事手に付かないという問題を抱えていたので応援しにいって、なんとかなった気がする。夜はアメリカ人のともだちにも会わなくちゃいけなかったので錦町に行った。

東京は移動手段はあるけど便利かどうかは怪しい、、、というかまじで大変だ〜というのをリアルに実感した日かもしれない。

夜のスカイツリーも美し。

5日目、休憩

部屋は狭くてきつくても、休みたいときは休みたい。ということで。

写真で見たらそんなかな、と思うけど(それは慣れたからかもしれないけど)、壁の薄さも相まって本当にきついのであった。

6日目、また休憩

一日の過ごし方についてすごく反省をしていたw

勉強というよりはこれからの動きについてとにかく悩んでいた。

7日目、なんとまた引きこもり。。

どうやら悩みは深かったようだw

8日目、隅田川ランニングコースを発見!!

自分のバケットリストには「世界中の良いランニングコースで走る」というものがある。決めるのは自分だし、探すのも自分という、ただの趣味なのだけれど、発見できると超嬉しい!

記憶から吹っ飛んでいたが、隅田川を発見する前に違うコースを走ったが微妙で都会の悲しさを覚えていたものの、このコースに出会って街がすごく好きになった。

駒形橋から入るまで1km、北の端まで2km、折り返して家まで3kmという合計6kmのコース。ちょっと走り足りないから南まで行った日もあったけど、概ね満足。

爽やかだし、広いし、美しい。あと、東京スカイツリーのおかげで進んでいる感が確かめられるのも良い。

そんなこんなで元気が出たので、銀座で友人と会ってからまた池袋まで。少し仕事をしてから飯とダーツしながら先輩に現在の心情を聞いてもらっていたら、タイでテストマーケティング会社やりたかった的なエピソードを聞く。

それめちゃいいかも、と思いやっとビジネスモデルを考えられるようなギアが入る。

帰りにマクドナルドでハンバーガー10個を前回のお礼としてもらった。嬉しい反面処理が大変だった。

9日目、再度投資家の方に会いに

サブカルの街吉祥寺というのはまじで知らなかったし驚いた。井の頭公園はでかい。

タイ料理をごちそうになりながら、これからの計画について明るく話ができて一段落。昔のように情報と意見を交換するという純粋な楽しい時間を過ごすことができた。

10日目、らーめんくろふね

安心のテイスト、らーめんくろふね

特別なラーメンではないかもしれないが、ふつうに美味しいし雰囲気も良い。本所引きこもりライフには欠かせない第二の行きつけ。写真は塩だが、醤油と味噌もあって、どれも美味しい。

11日目、ウェブ制作会社のマーケ活動を実施

10日目、11日目と2日間、久々にコードを触ったり広告ツールを設定したりしてマーケティングを開始した。まだ1つ目のアイデアに過ぎないので、これから色々と試す必要はあるが、なんにせよ行動できるほど復活したのが嬉しかった。

12日目、ダラダラ

した。

13日目、カツのお店と上野

最後の日曜日だし、なんか休日っぽいもの食べたいな〜と思っていたら発見。

ビールとカツで1200円ぐらいのランチ。キャベツも美味しかった。

いわゆるコスパに優れた店だと思う、最後に見つけてしまったなあ、かつき亭

夜は上野でアメリカ人の友達と最後のキャッチアップ。なんとなく東京の日曜日を堪能した。

14日目、部屋を味わう

初日に面食らったこの部屋。自分は低欲なもんだと思っていたが、社会人生活を経てある程度の基準ができていた事に気づかさせてくれたこの狭い部屋。

振り返るとそのどん底のような気持ちから、行動をしてノートへの書き込みが増え、脳の中で色々とこねくり回せる状態になった。

そして、やると決めたらすぐやれるだけのスキルも身についていることを実感した。

東京に来て早々、これからの動きを考えようと思えたのは良かった。

15日目、現在

もうすぐチェックアウトだ、なんとか書き終わった〜という感じで安心。

朝からやりたいことをやるということで隅田川ラン行った上でブログまで書くというチャレンジに見事打ち勝つことができた。

今週はフラフラして、来週からは超本気でやらねば。

とにかく、東京に来てよかった。

久々にブログを書きたくなったので近況まとめ

お久しぶりです!

日本に帰ってきて半年間、謎な時間を過ごしました。

今は東京に居ます。帰国から三度目の東京、今までで一番長い半月という長さで滞在をしている中、やっと半分近くまで差し掛かりました。

5月末に帰国、6月、7月、8月、9月は主に籠もりつつ東京、郡上、蒲郡、中津川、伊勢、大阪などへ。そして10月は横浜で2週間滞在。

11月後半から東京滞在ですが、今回は今までにないタフさを感じています。。

それは完全に自分の気持次第なはずなので仕方がないのですが、これから何をしようか、ということがはっきりと決まっていない中、人に会うことで何かを見つけようとしてしまっているが故かもしれません。

ただ、人に会わないと何も始まらないような気もして、後退なのか前進なのかわからない中、会ってくれる人への感謝を忘れないようにしながら考える日々です。

今回も25歳ぶりに無職の期間を過ごしています。笑

年齢が進んで30歳になったということが大きいと勝手に思っているせいか、ライフステージとはそういうものなのかわかりませんが、とにかく悩む。

仕事に関して、”先輩のWeb制作会社のお手伝い”という名目で社会との接点を保っては居ますが、正直これでずっと良い、とは思えていません。(労働時間は月20−60時間ほど)

主にやっていることはYoutubeを観、、、、というのは確かにやっていますが、強みの研鑽をやったように思います。

SEOについて改めて学び直し、ウェブサイトを作ってホスティングできるまでにし、CMSの連結やShopifyへの運用につなげていく・・・みたいなロードマップで勉強をしてきました。

これがわかれば連続起業しやすいだろうなぁ、と勝手に思っているせいなのですが、肝心の連続起業についてこれだ!となっていない。

ただ、この半年間で刺さった「コンテンツ側の人間」という言葉があって、たしかに僕はコーディングとかやりつつそれは全てコンテンツを活かすための勉強だったなあと思う。

つまり、作れるかどうかはさておき、こんなサービスとか商品あったら良いよね!みたいなことを具体的に考えていないのがいけないんだろうなあ〜、と書きながら思ってきた。

つまり、困った人を思い返せば良いのか。この半年間で見た困ってた人たち:

困ってたこと解決策
ハーブティ店開業者インスタとかで来るチャット対応大変すぎる。EC店舗やインスタのアカウントを共有してもらってEC店舗代行BPOをやる。
Web制作事業者良いウェブデザイナーが見つからない。ウェブデザイナー専門の紹介会社。定性的だが、XDファイルをみるだけでもレベルはだいぶ分かるので案件が繋ぎやすい。

んー、考えながら競合サービスとかも見ていると、サービスはすでにあるけどお互いの気付きあえてないだけかも?とか思ってしまうところもある。

ただ一方でそれがブランディングだしニッチサービスだし、どちらも真剣にやれば案外いけるのかもしれないなんてことも思う。

んー、とりあえず他にもこんな感じで毎日考えていったほうが良いかもしれない。

久々にブログを書いたのに支離滅裂な感じにはなってしまいましたが、毎日明るい気持ちで過ごしながらも、一つ一つのアイデアを大事にしてプランニングを中心に過ごすのが良いかもなんて思えてきました。

一旦興したWeb制作事業のSaaSEOはデータ分析しながら修正を加えつつ、先輩のお手伝いは前のめりにやることでアイデアの種を探し、人に会いながらもアイデアを探し、一人のときはできるだけビジネスプランニングで燃えられるようにする。

そうこうしているうちに自己防衛資金がショートしてどうしよう、なんてことも有り得そうですが、とにかくまだ藻掻く日々です。

では!

【春宵十話 – 岡潔】情緒とは何か、2週間読みながら考えてみた

この本は一体何なんだろう、昔の人の批評的な日記?

と思いながらなんとなく読み進めているうちに、なんだか情緒の重要性がわかりかける章に出くわし、ウンウンと読み進めていたらまた日記かな?と思ったりで、毎日一章から二章、ゆっくりと読み進めていたらやっと今読み終わりました。

特段面白かったかと言われると、素直に面白くはなかったという返答になりますが、この本を読んでいたこの2週間ほど、僕なりに”情緒”というものをずっと考えていました。

初めて出会った言葉ではないのですが、意味を問われると回答に窮する、そんな珍しい言葉だと思います。

もちろん英訳もできない、なぜならその意味が明確にわかっていないから。そんな言葉でした。

この本を読み終えて、また自分なりに考えてみて、僕にとって情緒とは「心で通じ合う能力」だと結論づけました。

著者によると”赤ちゃんを可愛がると可愛い笑顔で返してくれる、この時点で赤ちゃんには情緒が備わっている”と解説しています。

またあるときはトンネルを抜けて見えた大海原からインスピレーションを受け、長い間停滞していた数学の論文をあっという間に完成させたというエピソードも披露しています。

心を閉ざしていては即座に通じ合うことができず、当たり前にわかることもわからなくなる。逆に心を開いた状態で物事に接すれば、自然な形で通じ合い、わかるべきことは当然わかる。なんだかそんなことを教えてもらったように思います。

つまりこの情緒を失うと、人間関係ではギスギスとした感情に出会うことが増え、夕焼けの美しさや森の雄大さに感動することは無くなり、果ては人生の楽しさよりも辛さに飲み込まれてしまうんじゃないかと思いゾッとしました。

まさにこの情緒こそが、”経済的に成功していても楽しくない”人や、”頭がとてもいいのに幸せな人生を歩めていない”というような人たちが存在する根本的原因、欠落してる要因なのでは、と長年の疑問が解消されたように感じています。

とても幸いなことに、1991年生まれの僕はまさに”ゆとり教育”を受けてきた人間ですが、著者が鳴らしていた警報に従って日本が一瞬だけ情緒を取り入れ直した世代な気がします。

当時は”道徳”という授業が多かったのですが、深く考えることもない子供だった自分は純粋にそれを楽しんでいました。

そして小学校の卒業式では校長先生から「君たちの世代には”余裕”という言葉を授けたい。余裕を持つことが大事になる世代なんだ。」なんて言われて額縁に入った余裕という文字を受け取り、心に深く刻みましたが、振り返ればこれもまた情緒教育だったように思います。

そんな素晴らしい情緒教育を受けていたのにも関わらず、8年ほどの社会人生活で徐々に失っていった情緒。

省みるに、前職で辛かった場面は自分すらも騙す程に論理で嘘をつき、情緒を無視して執行していったとき、逆にそうされたときのことばかりだったように思います。

心で通じ合ったことがある相手であればなおさら、情緒を逆手に取った地獄のようなやり取りが年に数回、終焉間近では毎週のようにあり、やってもやらても辛いことの繰り返しだった理由が、この情緒にあったのではないかと、やっと前職での一番の反省点を意識し始めることができました。

これからもう一度、情緒を会得しなおす道のりになりそうです。

競争社会、資本主義の中で心で理解する正解を突き進むより、逆手に取ることで得られる一時の利益は多いかもしれませんが、そんなくだらないもののために生きているわけではないということが、この8年間、そしてこの本を読んで身に染みました。

ワクワクして読めた本では有りませんでしたが、とても教養的な「春宵十話」読んで良かったです。

では!

書評を始める – BE BLUES – 青になれ(と10冊ほどリスティング)

無職だと時間的プレッシャーを受けることが少なくなるので、漫画や本をより楽しく読めているような気がします。

KindleのLibraryを見てみたら200冊という表示があり、(多分3割ぐらいは漫画だと思うのですが)なんだか昔憧れた”大人の本棚”が僕のモノとしても自然とできていたようで、少し誇らしい気持ちになりました。

今まで読んだ本で心に残っているものは、きっと意識的にも無意識的にも反芻したので血肉になっているとは思うのですが、同時に表紙を見てもピンとこないものもあって、多分すごく抜け落ちてしまっているんじゃないかなと思い、もったいないという気持ちになりました。

なので、この持て余すこの余暇を使って、書評、といういうには僭越ですが、読書の感想を書いていくことでより本を楽しめたらと思い、キーボードに向かうことにしました。

ちなみに、Kindle の Libraryを見る限り、心に残っている作品の一部は以下(また改めて読んだときに書評を書きたいと思います):

  • The Hard Things About Hard Things – Ben Horowitz
    スタートアップ経営をされた方の本。初めて読んだときの感想は”スタートアップってエキサイティングなんだろうなあ”ぐらいだったものの、本気になってから読むと、まじで同じような場面に出くわしまくったことに気づく。リアルな作品。
  • The Shift (*日本名はワークシフト) – Lynda Gratton
    自分のグローバルキャリアを作っていく上での軸となっている作品。
  • 僕は君たちに武器を配りたい – 瀧本哲史
    自分のプロフェッショナルキャリアを作っていく上での軸となっている作品。
  • 会計の世界史 – 田中靖浩
    この本読んでおけば会計の授業を絶対真面目に受けただろうし、社会人になってからより楽だっただろうに・・・と思った楽しく会計の重要性が学べる作品。
  • 雁 – 森鴎外
    前回の無職期は無料で名作を読むのにハマっていたのですが、ハマるきっかけになった作品。小説って意味なくないわ全然、むしろこの想像力を掻き立てられる疑似体験がいい、と思えた作品。森鴎外は舞姫の人。
  • 国境の南、太陽の西 – 村上春樹
    オシャレかつダークだけどリアルな恋の話、というか人間関係の複雑性?を意識できた作品。村上春樹へ持っていた世間的なイメージ感から自分で持つイメージ感にアップデートできた作品。
  • サピエンス全史 – ユヴァル・ノア・ハラリ
    有名なやつだが、人という動物に興味がある自分が、それの理解と言語化が進んだ作品。
  • THE MODEL – 福田康隆
    これ読んで実践をしていける人は営業/マーケティングの指導者なんていらないと思う、超実践的理論本。使えそうで使えないビジネス書たちと一線を画す作品。
  • ロンドン塔 – 夏目漱石
    多分この中で圧倒的に一番短い、短編小説。外の世界に孤独な状態で降り立った際に、自分がイチ動物として感じ・行動した結果が圧倒的な表現力で描かれているように思う。表現が豊かなことが素敵だと認識できた作品。

これ以外にも、小説を中心にたくさん見つかってしまったのですが、これではただのリスト作りになってしまうので、、、、早速今日の書評!

記念すべき最初の本はこちら。

いや、いきなり漫画かよ!という自分ツッコミがしたくて書いているというのはちょっとありますが、とても思い出深い作品なので、ぜひ書いておこうと思い、1作品目に選びました。

というのも、実はこの漫画、僕のお金で全部買ったのですが、僕が買ったわけではなかったからです。

なんなら、誰が買ったかもわかりません笑

遡ること今から約2ヶ月前、突然Amazon.co.jpのアカウントをハッキングされ、勝手にデジタル購入され、返品しようにもデジタル購入のためAmazonに返品オプションがなく、クレカ会社的にも取り合ってもらえる案件でもなく・・・

そしてそんなマイナススタートで始まり、一昨日1巻を読んだ時点では「サッカー好きな自分でもこれはキツイ、、、、」と思ってまじで悲しさいっぱいになっていたのに、つい先程最新刊の43巻を自分で購入するという謎の結末に至った作品なのでした。

なにせこの漫画、アツいです。直球で、王道で、アツい。

スラムダンク的な、”できない主人公ができるようになる”のもアツいのですが、この漫画は小学生から天才スタート。でも天才期は一巻のみ。

2巻以降は事故で中学2年間を棒に振り、44巻分、作品的には10年間かけて成長地点まで追いついていくという、、、よくここまで引っ張れたな!サンデーだからか!?ありがとう!となる作品。

話はまだ続いていますが、ちょうど”あるはずだった世界線”と”事故を乗り越えた世界線”が交わったところなので、これからはこの”より傾斜のついた曲線”でどこまでいけるかを楽しみに読んでいく感じになりそうです。

ちなみにこの作品、内容が深いというわけではないのですが、僕は最近、こういう超純粋な作品に心を打たれます。

その背景として、社会人になってから”深刻な嘘”や”誠実さを装った不誠実さ”に直面することが増え、作品でもキーワードとなっているIrrational (理不尽な、不条理な)な世の中にうんざりすることが増えたことがあると思います。

特にビジネスはIrrationalな事で溢れており、しかもそれは人間からもたらされるため、ある種の人間不信、人間嫌いになることは、この世の中の仕組上、いやむしろ自分たちが人間である以上は避けられないように思います。

「ぶっちゃけ仕事をするなんて学校に行くことと対して変わりのないことなのに、なんでこうも仕事は嫌いになりやすいのか?」という問いに対する答えは、この不条理なんだと思います。

だったら仕事なんてしなければいいじゃん、ということで僕は2度目の無職期間を満喫していますが、早くも前回と同じ”虚無感”にも苛まれてきていたのがまさに先週でした。

そして徐々に「暇があるぞお!無職スバラシイ!」と言いながらも、自分の若さや元気、人生を何かに捧げ続けたいという本能的な欲求に逆らうことができないことを、この一週間で認めてきています。

ただ、始めたらまた、あの不条理との戦いが始まる。

嫌だなあ、どうすれば避けられるかなあ、、、なんてことをなんとなく考えてもいました。

ただ、そうはなってしまうんだと思います。結局そうなるのであれば、Be Bluesの主人公一条龍のひたむきさ、不条理を恐れる暇もない貫通力を見習い突き進むしか無い。そして、それぐらいの熱量を持って取り組める何かを見つけるまで、まずは小粒でもやりたいことを毎日やろう。改めてそう思えました。

一つの夢を諦めて間もない自分にとって、この作品は救いになりました。

誰だかわからないけど、勝手にダウンロードしてくれてありがとうw

ということで、初回の書評は終わり。多分こんな感じであまり作品には触れず、気ままな読書感想を書いていくことになるような気がします。

次回は岡潔先生の春宵十話について書けたらいいと思います。さっきダウンロードしました(自分で)。

では!

新章1 – 日本をキャッチアップしながら12ヶ月プランを決めた

おはようございます!

先日、2度目の郡上八幡訪問をしてきました。

郡上八幡は岐阜県にある、The Japanみたいな場所で、帰国後に行くと特に面白い土地だと僕が勝手に思っているところです。日本3大盆踊りなるものが有名です。

ただ、この郡上だけじゃなくて、大阪、名古屋、東京も帰国後に訪問して、2年ぶりの日本、COVID-19からやっと回復していこうとする日本を、自分の中でアップデートする活動をしていました。

また、その中で色んな人と会うことで営業活動もでき、まずは自分自身を支える収入を得るための個人事業主としての人生も始まってきました。(なので、地元の図書館にも通い、法人設立、会社法、個人事業主について本を読み、”全くわからない”を”まあまあわかるぞ”に変えるというような真面目な活動もしました)

あと、鬼滅の刃や呪術廻戦など、コンビニで見かける「わからんけど新しい漫画だ!」みたいなのも、単行本を読んだりAmazon Primeに仮入会してアニメを見たりしてキャッチアップする、というか普通に楽しむこともしていました。

兎にも角にも、本日がちょうど帰国一ヶ月目を迎えた日だなんて信じられないぐらい、とにかく充実した日々が過ごせたことにとても感動しています。

ただ、同時にこのような生活を只々毎日続けてるだけでは流石に貯金も無くなるし、真剣に何かに打ち込まないと頭の方も鈍ってしまうようには思うので、日々「これからどうしようかなあ」ということを考えていました。

そして見えた新章の手順としては以下のような感じなんじゃないかと思っています:

1ヶ月目:日本の生活と商習慣に慣れる

2ヶ月目:個人事業主申請、収入を得始める(現在1プロジェクト進行中なので達成確率高め)

3ヶ月目:PHPのLaravelを使ったシステム開発プロジェクトを完了(おそらく自分の個人事業紹介用サイトづくりをする。PHPの基礎学習は完了し、AWSのCloud9上でLaravelを使った環境構築を勉強中なので達成できそう。)

4−6ヶ月目:ヨーロッパを旅行しながらASOT1000に参加しつつ、Laravelを活用した腕試しプロジェクト開始(ASOTのチケットは取得済み、プロジェクトの題材もほぼ確定だがより良いものも探している)

7−12ヶ月目:ほぼ不労所得としての月収20万円達成

以上のような感じです!

これがもはやブログとして誰かのために立つかどうかわからないぐらいパーソナルでコアな領域になってきてしまっていますが、、、自分としてはモチベを切らしにくくできるので一応書いておきました。ただ、ここまで一ヶ月で持ってこれて正直とても安心しました。

マレーシアから脱出すると腹を括ったときには、これからの人生は”お金だけでなく時間的にも余裕を持って心も体も充実した健康な毎日を過ごしたい”というコンセプトしかなかったため、このコンセプトへの肉付け作業がうまくいくかどうか、正直少し不安でした。

その不安はもちろん会社に属するという一般的な社会規範から外れ、海外という自分の特質性を評価してもらいやすい場所から外れ、そして安定感のあるコミュニティから物理的に外れたことから来ていると思います。

ただ、結局自分の人生は自分にしか責任を取れないもんなんだな、と大学卒業後の社会生活8年間、20歳から海外文化を取り込み始めて10年経ってハッキリと思います。

結婚をしたら大丈夫、子供ができたら大丈夫、定年まで働けば大丈夫、当たり前ですがそんな”大丈夫”は無い。

そういうふうに考えて、動いてみたら”意識高いな”とか”トリッキーなことやって自慢したいのかな”とか多くの周りの人間に思われたり、言われたり、そのような負の感情をもって邪魔されたことがある人も多いと思いますが、正直とても関係なくて、何ならそれは自分への言い訳にしかならなくて、結局は人生のコンセプトを達成するために”やりきり続ける”でしかないんだとハッキリと思いました。

その上で、このブログは新卒海外就職をしたい人のために始め、続けながらそれが正解なのか不正解なのかを結論づけて発信したいと思うようになり、結局それは絶対に無理だという結論がついてとても安心しました。

海外就職は手段でしかない。

もちろん、海外就職をすれば海外の文化と接する機会が増え、幼少期から積み上げ自分の中に出来上がった社会規範をぶっ壊す機会が多いので、混乱もしますが開放的にもなれると思います。

僕はまだ一般的に言う”安定”を得られていないと思いますが、確実に心の安寧を取り戻し、純粋な欲求にしたがって毎日を過ごすことができるようになってきました。そして、その日々が僕にとっての安定だと思います。

午後からはまた勉強ですが、それも自分が選んだことだから、ただやるだけ。それが安心するし、楽しい。

これからこのブログは更に、Googleから見たら「どういうカテゴリのブログ??」みたいな感じにはなってしまうので結果的にSEO的にはとても弱いのですが、これは完全に僕という人間のパーソナルブログ、現在進行系の自伝なのでそれもどうでもいいです。

むしろそのような純粋な書物が誰かの役に立てば嬉しいし(GoogleのAIが将来的にそれをどう解釈してくかも気になるし)、自分自身はここを常に自分の場所として認識しながら、また書きたいときに書いていきたいと思います。

それにしても、この一ヶ月は最高だった。

では!