こんにちは、2024年2月27日現在、元気に居ります上田です。
日本に帰ってきて早5ヶ月が過ぎ去ろうとしている、という事実に大変驚いています。
そんな僕は現在またセントレア(中部国際空港)に来ています。(でも書ききれなかったので最後の方は台北のスタバから)
恒例行事のように、空港で待ち時間が長くなったときは筆を取る。いつまで続けられるかわかりませんが、なんとか今回もそんな時間を持つができました。
さて、当ブログでは報告できておりませんでしたが、2023年10月5日に、無事日本へ帰国しました。
最後に居た場所はアルバニアの首都ティラナ。そこからドバイ、マニラを経由して名古屋まで約5万5千円という格安ルートで、写真もバシバシ撮りながら帰ってくることができました。
そんなルートが見つかったのも旅の相棒のお陰で、大変助かりました。一方で、日本に帰ってきてから家族、お世話になった方々、友人たちに洗いざらい起きたこと、やってきたことを報告し、相棒の分まで費用を負担していた件などに関してはお叱りも頂いて、なんというか、、少し冷静になった気がします。
帰ってきたきっかけは決算。僕の会社SaaSeo LLCは9月締めにしているので、10月から11月の間にオンラインでも書類の提出をしなくてはなりません。
ただ、それはあくまでもきっかけに過ぎず、とにかく僕は帰国したくなっていたのでした。
ある種、これほど外国から日本に帰りたいと思ったことは、新卒でタイの会社に就職して半年ほど全く結果の出し方がわからず絶望していたとき以来かと思います。
当時は上司に喝を入れて頂きつつ、更にアシストパスも貰えたので、乗り越えて先に進むことができました。当時帰国しなくて、本当に良かったと思っています。
一方、今回の場合は急速に減っていくお金、それをV字回復できる感触のない開発状況というかプロダクトそのもの、そして帰国話を切り出すたびに鬱っぽくなる相棒との生活が理由でした。
今、少し冷静になった僕は「スタートアップは甘くない」と思います。足や頭を沢山使っていた事自体は良かったと思いますが、1円でも稼ぐ仕組み作りとその実践、0から1の達成、そしてそれを構造化して拡大していくという流れが、2人だけの生活と空間の中で冷静さを失い、顧客の実態が全く見えない中、ただひたすらにヨーロッパを転々とする、という状況になってしまっていました。
他人から見れば「ただ旅をしているだけ」。まさにそんな感じでした。
すごく良い経験になったので自身の糧にはとてもなったし、今動き始めている2つのビジネスは、毎日パソコンを10時間近く触り続けた修行の日々が無ければたどり着けなかったので、後悔はほとんどありません。
ただ一つ挙げるならば、相棒との関係がほぼ断ち切れてしまった事です。しかし、これは旅の中で何度も切り出し、話し合い、その度にうまく道を分かつことが難しい、と判断を繰り返した結果だったので「しょうがない」という結論です。
さて、そんな20代の延長戦のような2年間を30-32歳で過ごした僕は、若干の傷心と、確かにみなぎる修行の成果を実感して実家に戻りました。
そしてまず考え始めたのは「これから自分の30代をどう始めるのか」。企業を持って、Self Employedとして、どうお金を稼いでいくか、という課題に対して真剣に向き合うことにしました。
ということで、相談と関係性のメンテナンスをするために「会えていなかった人たちを訪ねる」を課題にして10月11月は過ごし、地元岡崎、名古屋、大阪、東京と巡り、最後に郡上八幡を訪れました。
郡上八幡はヨーロッパに行く直前に初めて訪れて、実は好きだった町。
当時は「うどん屋さんを開業するんだ!!」と息巻いていた友人を応援しに来て若干心配になっていたのですが、今回再訪したら、、、玉手箱でも開けたんじゃないか?と目を疑う状況でした。
この町の他のどこにも行列なんて無いのに、友人の店だけは溢れる人々が。。。なるほど、これは確かに忙しい。
実は今回郡上八幡に来たのもうどんの友人から強いお誘いを頂いたからなのですが、その際に「岐阜駅でアメリカ人の友人を拾ってきて欲しい。そして先2週間相手になって欲しい」という色々とツッコミどころの多い依頼も受けていたのでした。
しかしながらその行列を見て色々と察し、2週間に渡ってアメリカ人の相手はしっかりして(*ゲイだったけど深い意味は無い)、その上お店の手伝いも何度かしました。
正直なところ、飲食業は「家業として」以外ではやる気もなかったし、ほとんどやってこなかったのですが、あれだけ多忙で友人の祖母までもが大変そうにしているのを見ていると「もはや体が先に動く」という状況でした。
ときにはプライドが邪魔しましたが、まさにそのプライドこそが今僕が一旦落とすべき苔なんじゃないか? いったいなぜそんな否定的な気持ちがあるのだろう? と考えながら日々体を動かし(最初は頭も結構大変)、床磨きにもトライして、パソコンと距離を取った日々を過ごしました。
やがて気づいたのですが、僕は形に拘りすぎていたのだと思います。友人は「郡上を盛り上げる」ために動いており、そのために「心も満たすうどん屋」を運営していて、そのためには格好の良いことばかりではなく、床磨きもやらなくては成り立たないのだと思いました。
もちろん、そういった仕事をアルバイトの子達に振ることはよくありますが、毎日必ずスキップできるわけではないし、そんなことを考えている暇があればやってしまったほうがいい、というスピード感だと思います。
僕はそんな具体的なものを築き上げようと妄想しきれてないから、只々、形に拘る。ハイテクな技術に触れたり、沢山の国に行ったり、住んだりという趣味生活を続けてしまったのだと思いました。
そんなこんなで大事な気づきもあったし、郡上八幡がもっと好きになったので、当初約束していた2週間の滞在を終えて一度実家に戻ったら、2日で郡上にリターンする、という自分でも予想していなかった展開となり、引き続き郡上八幡での生活を続けることになりました。
ありがたいことに、うどん屋に来てくれた外国人のお客さんたちから「あなたは何者?」なんて聞かれることもあり、「色々やってきたのですが今はプログラマーでこんな作品を作っています」という流れで旅の間に作ってきたもの、そして帰国してからも形にしようと隙間時間に頑張ってきたものを見せる機会が増え、第三者の反応やフィードバックを得ることもでき始めました。
そのおかげで「撮りためた360度写真はVR用アプリに使うが、企画をもっと具体的にするのが先決」、「ギリシャから開発を始めた世界中のニュースを毎日読める技術はスピンオフする。ニュースアプリを作って自分用・投資家用にアレンジしていく」、そして「培ってきたWeb技術を活かして日銭を稼ぐ」という具合で、方向性が2024年1月には決まってきました。
そんなことをうどん屋の友人にも伝えたら「じゃあうちでゲストハウスをやってくれないか?」という、謎の返答が。
真意を聞けば、単純に僕に郡上八幡に住み続けて欲しいとのこと。なるほど、さすが郡上を盛り上げたい男。。
確かにこの家は14LDKもあるし、170年の歴史と「うなぎの寝床」と言われるユニークな長屋建築ですごく面白い。とはいえ、自分がいきなり宿泊業へ?ということで正直悩みました。
悩んだものの、集客はもちろんのこと、この2年間Airbnbで50件以上渡り歩いてきたという経験がとても活きるし、アメリカの友人が居たあの日々、もっと昔を遡れば南山大学の寮で外国人をホスティングしていたあんなワンダフルな日々がまた訪れるんじゃないか?
何より、これは「日銭を稼ぐ」というミッションが達成できながら、ニュースアプリの開発も並行できそう! ということで、今この宿泊施設の準備を着々と進めているところです。
じゃあなぜ今、台湾に居るの? という話なのですが、タイミングが合ったから、という単純な理由です。
実際に宿を始めたら最初の方は自己都合で機会損失したくない( = 郡上を長期にわたって離れられない)し、僕の幼馴染が台湾で駐在して長くなったし、世界情勢も不透明だし、うどんの友人はアメリカ一周の旅に出かけたし、という感じです。
思えば5ヶ月ぶりの海外なのですが、やっぱり今までの自分とは違うというか、なんか久しぶりに海外旅行してるなあと思います。
なんなら、20歳で初めてタイに行ったときだけが今と同じ「日本に住んでるけどちょっと海外の空気を吸ってくる」という形だったのではないかと。
清々しい程に、海外生活への憧れが消え去り、旅行楽しいなあと感じています。
これからは日本で、まずは郡上八幡を拠点にできるように挑戦していきます。
郡上編どうなることやら、、、とりあえず、無事に台湾を楽しんで帰国できるようにします。
ではまた!